強谷針灸治療所のあゆみ

当時数少なかった「女性鍼灸師」 強谷針灸治療所 初代所長

初代所長 強谷針灸治療所は、初代所長 故強谷光子(写真:右側)により、昭和34年現在の秩父市山田(高篠 矢追)にて治療を始めました。

昭和38年(1959年)
秩父市上町にも治療所を構え、自宅のある山田 高篠と街中の上町とを行き来しながら治療。
市内を中心に、自転車で片道30分以上かかる荒川の奥の方など秩父地域全域に往診。

旧治療室 玄関 昭和54年(1979年)
自宅からの行き来が大変なことから、再度自宅のある秩父市山田だけを治療の拠点とし治療にあたりました。
それから自身の身動きが大変となり治療を断る平成18年(2006年)、 47年間にわたり、秩父地域中心に、車で2時間以上かかる遠方にお住いの方や、秩父に観光として訪れた方など、多くの病や痛み、症状に悩まれる方々の改善、治癒に尽力されました。
鍼灸セミナーの風景
平成24年(2012年)
先生の治療を度々受け、時に治療を見学していた、光子の孫、強谷直佑(現所長)が祖母の跡を引き継ぎ、秩父地域を中心に様々な心身の悩みを抱えた方々の、健康獲得・生活維持の支えとなる様、強谷針灸治療所の看板の下鍼療を始めました。

鍼灸師としての『思い』『信念』

「今だけ」良くすることは考えていません
何十年経っても「健康」で「充実した日々」を過ごせてこそ尊いと考えています

こんにちは。
笑顔が自慢な院長の強谷直佑(すねやなおすけ)です。
私は幼少期より風邪を引きやすく、加えて小児喘息にアレルギーと、 とても健康児とは言えませんでした。 私は物心つく前から、強谷針灸治療所の先代である祖母に鍼灸をしてもらい、 お陰で今は、喘息もアレルギーも治りとても感謝しています。
そのため、赤ちゃんの頃から体調を崩しても、 よっぽどのことがない限り薬を飲むことがないのが小さな自慢です。
鍼灸学校時代には、インド医学を中心とした東洋医学に精通し、 治療の場でも実践しているドクター、上馬塲和夫医師の下、 最新の西洋医学と東洋医学の両医学を学びました。
現在は、学生時代から学んでいる「心理」 と、 「東洋哲学」「脉診流経絡治療」 という鍼灸の治療技術を用いて、心身ともに健やかに過ごすお手伝いをしております。

『東洋医学』・『鍼灸』は、ただ症状を「治す」専門家では無いと考えています。
時に、肩や腰の痛み、痺れなどを治し
時に、赤ちゃんを授かりやすくし、妊娠中における胎児と母体の心身ケア。
時に、子供の体調を整え、育児相談受け
時に、日々の生活を健やかに過ごす上での相談、体マネジメントを行う。
時に、高齢になり、大変な事が増えつつある方に、 自分の力で立ち、自分の手で食事を取り、 少しでも長い時間「生活の質(QOL)」を維持していく支え、お手伝いをする。

「健やかで充実した日々を過ごす。」という事を軸に、
鍼灸師は、生まれる前から亡くなるまで。「一生を通じてお体を支える専門家」であり、 それが「責任」 でもあり、「使命」であると考えています。

施術してすぐ痛みや不調、悩みがなくなることは嬉しいことです。
ですが、私が施術し調子が良くなることで、その方が無理をするようではいけません。 不摂生をさせてしまってはいけません。 その後何年もの時が経ち、その方が体のお手入れ、健康を省みなかったが為大病を患ってしまった時。 いくらあの時お体の状態が良くなり、皆さんに感謝して頂けたとしても、私の施術は間違いであり、使命を果たせなかったということです。
「一病息災」 ということわざがありますが、時に「病」は「悪」ではありません。
私たちの日々の悪行、不養生を教えてくれる尊いものと考えることは出来ないでしょうか?
大変な思いをするのは私も嫌です。ですが、健康で充実した日々を過ごすために、必然的な「病」もあると私は思います。
こういった東洋医学の知恵
健康にいられる過ごし方。「養生の仕方」をお伝えすることも鍼灸師の「使命」です。
その為にも、「心の結びつき」 を大切に、お一人お一人「心」で向き合っております。

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